セキグチカメラ 書・山本五十六語録『男の修行』

書・山本五十六語録『男の修行』

書・山本五十六語録『男の修行』
書・山本五十六語録『男の修行』
書・山本五十六『男の修行』
書・山本五十六『男の修行』

真珠湾攻撃によって太平洋戦争の端緒を開いた大日本帝国海軍・山本五十六の実像に迫るドラマ。在米日本大使館での勤務経験から国力の差を誰よりも熟知していたため開戦反対の主張は一貫していたが、時流が許してくれない。自らの意思に反し開戦へと踏み切った苦悩の司令長官時代を経て、早期終戦による講和を目指しながら志半ばで命を落とすまでを描く。

セキグチカメラ 書・山本五十六語録『男の修行』
額装・極濃紺塗り仕上げ【額幅80mm】完全受注生産
セキグチカメラ 書・山本五十六語録『男の修行』
(男の修行)
(苦しいこともあるだろう)
(言いたいこともあるだろう)
(不満なこともあるだろう)
(腹の立つこともあるだろう)
(泣きたいこともあるだろう)
(これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である)
セキグチカメラ 書・山本五十六語録『男の修行』
明治17年(1884)、儒学者の家系に生まれた高野五十六は、聡明で、中学の頃からベンジャミン・フランクリンを尊敬、猛勉強するなど広い視野をもっていた。
旧長岡藩家老・山本帯刀家を継ぎ、旧会津藩士族の娘と結婚。文武両道、質実剛健、常在戦場の長岡らしい精神に磨きがかかる一方、石油や航空に早くから注目。リンドバーグの大西洋横断にも触発され、特に航空の重要性を力説。太平洋戦争開戦時、その先見性を世界に実証した。
開戦にはあくまでも反対だった。「この身滅ぼすべし、この志奪うべからず」と、わが身の危険を省みず、日独伊三国同盟に断固反対した姿勢は、人々を愛し、郷土を愛し、慈愛の心を強く保っていたからこそである。だが、その意に反し聯合艦隊司令長官として未曾有の大戦争の指揮をとった。
昭和18年(1943)ブーゲンビル島で戦死。
セキグチカメラ 書・山本五十六語録『男の修行』
人は、言葉に鼓舞され、そして、癒される。
軍人であった山本五十六は、詩人でもあった。
「男の修行」は、激しい訓練に苦しむ兵士のために説き、
自らもそれを実践したものと言い伝えられている。
日本人がふるくから貴ぶ「辛抱」という徳を、
簡潔にして明瞭に表わした不朽の名言である。
セキグチカメラ 書・山本五十六語録『男の修行』
2010年、藍綬褒章受章。

師は今井凌雪。雪心会会員、日本書芸院二科審査会員、新潟県美術連盟会員、新潟県書道協会参事、海外芸術交流協会名誉会員無鑑査、日展・毎日展・読売展(会友)・タイ国立シラパコーン大学客員教授スペインプラド美術館正会員。

≪主な受賞歴≫
雪舟光華賞(墨画)、中国書法芸術院芸術大賞、日本書芸院特別賞、ロートレック芸術大賞、故宮博物院賞など多数。

≪主な作品収蔵先≫
故宮博物院、セルヌスキー美術館ハンガリー国立民族博物館、プラハ国立美術館、エルミタージュ美術館、タイ王室、マレーシア国立美術館など多数。
セキグチカメラ 書・山本五十六語録『男の修行』
50歳を超えてから本格的活動を開始。
世界各国で活躍するかたわら、
25年以上にわたり、
新潟少年学院書道クラブを指導。
山本五十六が戦地へ旅立つとき、
当時小学生だった田中玉蘭は、
全校児童を代表して、
慰問の言葉を述べた。
ひとかたならぬ五十六への想い、
まさに入魂の書。
セキグチカメラ 書・山本五十六語録『男の修行』
美術品複製専用の耐光性・耐褪色性に優れた高品質マットキャンバス地を使用。
戦艦大和の写真を、書を邪魔しないようにごく薄く配置。戦場の臨場感を演出。
題目『男の修行』が中央に。かつてない大胆な構図。
ご予算・ご用途に応じて、額装が選べます。